『チ。―地球の運動について―』で、第26回手塚治虫文化賞マンガ大賞など数々の賞を受賞した魚豊(うおと)氏。
実は、ビッグコミックスペリオールで連載中の『アタックシンドローム類』(𠮷沢潤一氏作)に魅了され「次に来る漫画」だと推しているという。作品の魅力や“アタック推し”となった経緯をインタビューで伺った。
友達の家で、“類と出会った”
『アタックシンドローム類』を初めて読んだのは、たまたまなんです。友達の家に行ったとき、ビッグコミックスペリオールが置いてあって、類がフル装備でカチ込みに行く話だったんですが…どういうこと!? 何この展開!? おもろすぎるんだけど!?と思って。そこから、作品をさかのぼって読んでいきました。そしたら全話面白くて、こんな漫画見たことないし「こんなん描けたら楽しいだろうな…!!」と思ったのが、ハマったきっかけでした。
作品の魅力は、“作家性”
『アタックシンドローム類』の魅力は、もう𠮷沢先生の“作家性”としか言い様がないですね。例えば、1巻・冒頭の見開きです。これは圧倒されました。このパースで描くとか、左ページ1ページ手にするとか、諸々見たことなくて、作家としては、1話カラーの見開きってすごい悩みどころなんです。登場人物を何人か置いて描くなど“情報”を盛り込みがちなんですけど、この見開きには、すでにドラマがあるっていうのが凄いと思いました。ちゃんとドラマを描き、キャラクター性も紹介しつつ、作品性も紹介しているというところで、一気に引き込まれました。
ウェットな“暴力表現”
𠮷沢先生の描く暴力表現の「ウェットさ」も魅力だと思います。リアルなんだけど、気持ち悪くなく、漫画的魅力溢れる肉体表現だと思います。自分の場合、暴力描写をドライに描いちゃってるところがあるんです。理詰めで組んでいくというか、拷問シーンとかも、「こうなったらこうだから怖い」というセッティングをキャラに説明させて描いている。𠮷沢先生の暴力表現は、自分が途中から読んで面白かったように、絵1枚で面白い。“理(ことわり)”から切り離されても、“絵”そのものの力がすごいあるので、物語性っていうものを付与されなくても面白さが常に担保されてるっていうのがすごいなと思いますね。
『チ。-地球の運動について-』 第1巻 /拷問を“解説”する異様なシーン
『アタックシンドローム類』第1巻 /作中には“ウェット”な暴力描写が満載
絶妙な“ハズし”方
勿論、『類』はセリフもいいし、絵もいいし、とても読みやすい作品なんですけど、同時に凄く興味を惹かれたのは独特の“ハズし方”でした。感動的なシーンって、やっぱり構造上、クサくなっちゃいがちというか、それが『類』の場合、全然違っていて、びっくりする位、暴力的だったり、グロテスクなのにそれを綺麗に演出していたり、めくりのシーンでこっちの表情で感動させるんだとか。そういうような“ハズし”が毎回あるというのがすごい面白いし、読んでいてとても刺激的でしたね。そして妙なリアリティーがずっとある。𠮷沢先生、これどう考えて作っているんだろう(笑)。キャラがイキイキしてて、作者の顔がいい意味で全く見えないのに、作家性がすごく強いんです。非常にリアルで、この不思議な人達の不思議な世界のドキュメンタリー映像を見ているみたいな感じがするんですよ。
『アタックシンドローム類』第2巻/類が放つ邪悪な音が敵を打ちのめす
「音」にこだわった新鮮さ
「音」で戦うというのは漫画でしかできないと思うんです。映像になっちゃうと、音というのがやっぱり自分にとっていい音かどうか、全ての観客が各自で判断することになる。でも、漫画だったら音は出ないので読者全員が自分の最高の音、凶悪な音で戦ってるというふうに、レバレッジが効いて演出が際立つ。音楽漫画の良さでもあるかもしれないんですけど、それを格闘のモチーフに入れたことがすごい新鮮だと思いました。
ヒロインのソユンの場合は、「お前が生まれた目的や意味なんてない」という親に、生まれた目的を証明する・後悔させるために音を使っている。類の場合は逆に「お前はパパを殺すために生まれたんだ」と、目的を与えられすぎている中を生きている。そこへの反発心というか、そこで溜まったフラストレーションが暴力という形で発散されている。でも、本当に類がしたいことっていうのは「真の真の世界を聴きたい」というように、真実の世界への欲望です。その対比とキャラの作り方…つまり、ソユンは、バンドマンで音を使って戦うという「平和利用」と、類の音を武器としている「兵器利用」の対比も非常に面白く読みました。
結局、類とソユンが音にこだわるのは、言葉だけではすくい取れない世界があると感じているからじゃないかと思うんです。2人は“記号”を信用してない。だから、音で純粋な世界を見たい、純粋な世界を再現したいという欲望を持っている。それは人間の根源的な欲望だと思うし、非常に作家的な欲望でもあるというような気がしていて、漫画家とか創作をする人っていうのは、本当は究極それがしたいというか。自分が感じた世界そのものを再現したいっていうようなモチベーションがあると思う。
しかし、“録音”や“再現”は原理的に、真実との差異を持っている。いかなる手段をもっても、真理そのものに最終的に触れる事は出来ない。だから結局、再現というのは自分の経験によって編集された“嘘”にしかならない、表現にはそういった不可能性や矛盾がある。では、だとしたら、その“嘘”は無価値なのか? なぜその“嘘”が生まれたのか?という問いが発生し、それが最近の本作の意外な展開に繋がってきているという実感を持って読んでます。…と、いうような意味で、この作品は“創作する”というモチーフにとって非常に大事なことを描いているとも思いました。
『アタックシンドローム類』 第2巻 /ソユン バンドシーン
作品に“喰らう”体験を
最近、創作のあり方とか、創作系漫画とか創作系ドキュメンタリーとかが流行っている気がしますが、それらと一線を画してるのもすごいなと思っています。そういうドキュメンタリーとか漫画では大抵「表現って、自分が受けた影響を作品で返す、人間と作品間のピュアで感動的な営みなんだ。」的なキラキラしたものか、逆に「ものすごい苦悩苦痛の足掻きの中で生まれる天才的なものだ。」みたいなドロドロしたものか、二分化されると思うんです。そういう物に僕は癒されることはあるけど“殴られる”ことはない。やっぱり、真に創作する源や、勇気、喜びっていうのを与えてくれるのは、本作のような、読者にどう思ってほしいのかわからないけど、ただただ自分の世界を表現した作品だと思います。前述の2つのパターンのように、創作を明示的に描く時点で削ぎ落とされるものがある。
そこで起こる情報の制限は類達が“記号”を信用してない理由でもあると思う。しかし本作は、それと言わずに婉曲的に創作が与える豊かさや想像力を描いていると思う。
それでいて、決して独りよがりにならず、読者全員を巻き込んでしまう。そういう作品は、読み手を“殴ってくる”ので、すごい喰らわされるんです。そう言った作品をすごく見習いたいし、目指したいなと思います。なんと言っても、本当に面白い、とにかく面白い作品としかやっぱり言いようがない。こんな濃厚で、意外で、美しい作品は、絶対もっと多くの読者に読まれるべきだと思います。これまで読んだことがない物語だと思いますので、作品を読んで“喰らって”ほしいと思います!
『チ。―地球の運動について―』魚豊氏驚愕。
「この作品を読むことはできない。ただ“喰らう”だけ!!!!」
『アタックシンドローム類』単行本第3巻 本日発売!
このインタビューは、「ビッグコミックスペリオール」2023年13号に掲載された内容を再構成したものです。
面白かったら応援!
お気に入りに追加して
更新情報を受け取ろう!