5163435 3 3 false 6SYKr8J2xsFhmb5GMayRIublZBmjBICw d0598f0cf54b0da40f731366eba54f50 特別対談 後編 0 0 10 false
ビッコミさんの作品:特別対談 後編

絶賛発売中の押見修造氏による最新作『瞬きの音』第1巻。そして6月18日に発売される伊奈子氏の『天女様がかえらない』第1巻。偶然にも同時期に最新作を世に放つこととなった両作家の対談が実現した。

TVドラマ化もされ大きな話題を呼んだ『泥濘の食卓』で知られる気鋭の作家・伊奈子氏が会いたいと願ったのは、長年尊敬してきた押見修造氏。最新作『天女様がかえらない』で押見氏が推薦文を担当したことをきっかけに今回の対談がセッティングされた。

互いの作品をどのように読み解き、両作家の作品に通底する「家族」という存在をどのように捉えているのか。前編・後編の2回にわたり両者が描く「家族」の本質に迫る。後編のテーマは、「家族とは何か?」

2人が家族を描く理由や、創作を通して感じたことについて話を伺った。

「自分のことを描きたい」「呪いを解きたい」2人が家族を描く理由


――前編では、お互いの作品について感想を語っていただきましたが、そもそもお二人はなぜ「家族」という題材を選ばれたのでしょうか。そのテーマに取り組むことになった原点には、どのような経験や想いがあったのでしょうか?


押見:
自分にとって一番重要なのが「家族」なんです。恋愛や社会的成功よりも、家族のことの方が遥かに重要で、それに強い興味があるということなのだと思います。ただ、決して家族全般を分析したいという意味ではないんです。まず、自分のことを描きたいという目的があって、自分のことを掘り下げていった時に、必ず思い出すのが父や母、弟といった家族のことばかりだった。だから、自然と家族の話になっていたのだと思います。


伊奈子: 私も、やっぱり一番近い存在だからというのが大きいです。恋人や友達より、距離はもちろん、顔や体の造形的にも家族が一番近い。キャラクターを作る時に自分の中から引き出そうとすると、どうしても自分を作り上げた家族のことがついてきます。

一方で、私は「自分の呪いを解くために描きたい」という気持ちもあります。家庭環境があまり良くなかったので、過去のことを思い出すと辛くて…。普段は自分の中にしまい込んでいますが、時々ふとした瞬間にそれが漏れ出してきて、自分を動けなくさせたり、押し潰そうとしてくる。だから、なんとかそれを解決したい。描きたいというよりも、助け出したいという気持ちが強いですね。


押見: 伊奈子さんが仰っていることは非常によくわかります。「自分の呪いを解くために描きたい」というのは、まさに『血の轍』の時にあった動機なので、すごく共感できる部分があります。『血の轍』を描いてその呪いが成仏したと言いますか、一区切りついた感覚があったのですが、家族のことを「呪い」として解消しようとした結果、最後に残るのは自分のだということに気付きました。

▲『血の轍』のワンシーン


つまり、自分の問題はまだ解決していないということかもしれません。人のせいにはできない、根っこの腐っている部分を描かなければならないと感じていて。それが今、僕が『瞬きの音』で描くべきことだと思って取り組んでいます。ちなみに、伊奈子さんは先日『泥濘の食卓』が完結されましたが、「呪い」が解けていく感覚はありますか?


伊奈子: 一つは解けた気がするんですけど、まだ残っている部分もあります。実は『泥濘の食卓』は自分の要素をかなり入れた作品で、満足のいく終わり方ができたことで、肩の荷が少し下りたように感じました。

今回の『天女様がかえらない』は、学生時代に一番仲が良かった友達の家をモデルにしています。彼女の家にはすごく厳しいルールがあって、私はずっと「なんで家族に対して何も言えないんだろう?」と疑問に思っていました。私が漫画家になった後も作品を読んでくれていて、困った時にすごく助けてくれた大切な友人だからこそ、どうにかそこから抜け出してほしい…。『泥濘の食卓』は自分だけのために描いていた作品ですが、『天女様がかえらない』は大切な友人のために描いている部分があります。だから、晴れてスッキリしたという気持ちにはまだなれません。

▲『天女様がかえらない』の円妙家にも厳格なルールが…。

どんな感想も理解できる。リアリティーの質の違いとは


――お二人の作品を読んで共感したり、救われたと感じる読者も多いかと思います。読者から届いた感想の中で、特に印象に残っているものはありますか?


押見:
『血の轍』の時は、自分自身の家族と重ねて読んでくださる読者さんが多かったですね。自分の家のことや親との関係について、そこに読者さんが共感してくれたのであれば、描いた意味があったなと。また、「描いてくれてありがとう」と言われることもあって、正直お礼を言われるとは思っていなかったので少し驚きました。伊奈子さんも、そういう感謝の言葉をもらったことがあるんじゃないですか?


伊奈子: ありますね。長文のお手紙で、感謝の言葉と共に自分の話を送ってきてくださる読者さんもいらっしゃいました。意外だったのは『泥濘の食卓』は、50代の男性読者が一番多いということ。主人公は女性だけれど、自分も暗い青春を過ごしてきたから、女性の視点で見れて嬉しいっていう感想と、あと不倫の要素があるので「男の夢だよなぁ」という声もあって。


押見: え、まさかの店長に感情移入している?!


伊奈子: そこまで人生をかけて、俺と不倫してくれる女の子はいるのかみたいな声が意外と多かったです(笑)


押見: 伊奈子さんの作品はリアリティーが非常に強いので、そういう幻想を抱いてしまう気持ちもわからなくもないですけどね。


伊奈子: 『天女様がかえらない』では、「こんな母親はいない! ファンタジーだ! 」という感想をいただくこともあるのですが、その声も理解できるなと思っています。自分は普遍的なことを描いているつもりですが、家庭環境って本当に人それぞれだからこそ、絶対に交わらない部分がある。だから、実際に経験したことがある人にとってはよくあることでも、全く関わりがない人には「こんな人がいるわけない」と思われるのも当然ですよね。


押見: 僕も『血の轍』の時に同じようなことを言われました。経験したことがない人にとってはわからない。リアリティーの質が全然違うのだと思います。

「家族」とは何か、創作を通して変化したその輪郭


――お二人は「家族」とはどのような存在だと捉えていらっしゃいますか? 創作を通して、その輪郭が変わっていった部分があればあわせて伺いたいです。


押見:
家族のことを他人だと思えるまでが難しいんですよね。頭では他人だとわかっていても、例えば実家から電話がかかってきた時、無意識に強張ると言いますか、反応してしまう回路がまだ残っている。漫画を描くことで、その染み付いた回路が少し解けるような、気にならなくなるような…。

『天女様がかえらない』の帯コメントで「家族は、降りられないヘンな演劇だ。」と書きましたが、家族との関係は、強制的に演劇に参加させられているような感覚があります。これが自分の役割なのだと割り切って演じられる人もいるかと思いますが、そもそも子供の頃は降りる権限が与えられていませんし、大人になった今でも怖くて降りられない人も多いのではないかと。直接的な解決策はないかもしれませんが、他人だと理解することが唯一の方法かもしれません。

▲『天女様がかえらない』1巻帯


伊奈子: 演劇と言い表すのは本当にすごいなと思いました。実際、自分も実家に帰ると、娘としての自分になってしまうことがあります。対お父さん用の自分、対お母さん用の自分というふうに、無意識に役割ができているんだなと。いただいた帯コメントを読んで改めて思い出しました。

あと、私は押見先生の作品を読んだり、自分の作品作りを通じて、家族を遠くから見つめることで、これは異常事態だったんだなと気付くことがありました。昔、自分が無理して閉じ込めていた感情や恐怖をしっかり認識できたと言いますか「この人は敵だったんだ」と自覚することができました。実は「毒親」という言葉が広まり始めた時もすごくすっきりしたんですよね。別に親との関係性が変わるわけではないけれど、こういうタイプの人なんだと認識できたことで、霧が晴れたような感覚があった。適切な距離さえ取れたら上手くいくかもしれないと思ったんです。それが結構希望だったんですよね。


押見: でも、『天女様がかえらない』のママは、昔は毒親的な振る舞いをしていたけれど、ある日突然、記憶喪失で全てを忘れて家に戻ってくるわけですよね。本作は、単に毒親の問題だけではなく、自分が過去にしたことを忘れていて謝る人を許すべきか、どう扱うべきかという話でもあると思います。この設定にしたのは、もっと複雑な部分を描きたかったからですか?


伊奈子: そうですね。最近、親から過去にされた酷いことを「ごめんな」って軽い感じで謝られたことがあったんです。もちろん許せないし、流すことなんてできない。でも、大喧嘩もしたくもないし、どうしようかなと思った。父親に謝られてそんな葛藤を感じているときに「あ、これ漫画のネタになりそうだな」って思ってしまって…。先ほど、『天女様がかえらない』は友人の家をモデルにしていると言いましたが、自分の要素を少しだけ主人公に入れることで、この子ならどう抜け出すのかな? と見守るような気持ちで描いています。



――ありがとうございます。最後にこれから作品を読まれる読者の方へ向けてメッセージをお願いします。


押見:
フィクションを描くということはもうやり切ったので、『瞬きの音』ではそれと異なるものを描こうと思っています。つまり、ノンフィクションなんですよね。ただ、自分から見たノンフィクションなので、フィクションと何が違うのかと言われたら正直よくわからない部分もあります。フィクションを描いていた人間が限界に追い詰められていく様子を、ぜひ見守ってほしいです。エンタメと言えるかどうか分からない作品ですので、「面白い」と言いづらいかもしれませんが漫画家としての“最後”を見届ける気持ちで読んでいただけたらと思います。


伊奈子: なるべく前向きに私も向き合いますので、どうか最後まで見守ってもらえたら嬉しいです。この作品は友達をモデルにして描いているので、彼女が救われてほしいという気持ちを込めています。同じ境遇の方々や共感してくれる方々は、みんな友達だと思っていますので、どうかみんなで前向きに生きられたらなと思っています。


取材・文/ちゃんめい


『瞬きの音』 を読む。▼
https://bigcomics.jp/episodes/530a9fc2c7fac/

『天女様がかえらない』 を読む。▼
https://bigcomics.jp/episodes/777f80005f25e/

著者プロフィール

押見修造(おしみしゅうぞう)
1981年生まれ、群馬県出身。漫画家。2002年『真夜中のパラノイアスター』でデビュー。
代表作に『漂流ネットカフェ』(双葉社刊)、『アバンギャルド夢子』、『悪の華』、『おかえりアリス』(講談社刊)、『血の轍』など。
「ビッグコミックスペリオール」にて『瞬きの音』を連載中、コミックス第1巻は2025年5月30日に発売。
伊奈子(いなこ)
愛知県出身。漫画家。2016年『悪い夢だといいのにな』が第75回ちばてつやヤング部門大賞を受賞。
連載デビュー作品である『泥濘の食卓』(新潮社刊)はTVドラマ化もされ、大きな話題を呼んだ。
「マンガワン」にて『天女様がかえらない』を連載中、コミックス第1巻は2025年6月18日に発売予定。

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4日前